道徳の授業から学ぶこと
タイトルの言葉は、私が好きな言葉の一つです。
それぞれが略奪の精神を持って生活していると、どんなにたくさんの資源があっても足りず、逆にそれぞれが分け与える精神を持っているとおのずと余るものであるという意味です。
略奪という言い方をすると、私はそんな精神持っていませんという方も多いですが、
実際はそんな人たちばっかりだなという印象です。
「自分のことだけ考えている」
こう言い換えるとわかりやすいのではないでしょうか?
まず、自分を満たさなければ他人のことを考えられないという声もよく聞きますが、実際は逆で
他人のことを考えないから、自分がどこまでいっても満たされないのです。
私も若い時には自分が自分がという感じでしたが、人生いろいろ経験することによって、段々と考え方が変わりました。変わってからどんどん人生がいい方向に進み、現在に至るという形です。
例として小学生の時に道徳の授業で学んだ話があるので、紹介したいと思います。
ある日、地獄へ行ってみると、たくさんの亡者が丸いテーブルをかこんで座っています。テーブルの上にはたくさんのごちそうが並べられているのに、亡者たちはそれを食べることができず、飢えに苦しんでいます。
よく見ると、亡者たちの片腕がイスにしばり付けられ、もう一方の腕には、ものすごく長いスプーンがくくりつけられています。亡者たちは一生懸命にテーブルの上の食べ物をスプーンですくって食べようとするのですが、柄が長すぎて、口に持ってくることができません。地獄には食べ物がないわけではない。
食べ物があっても食べられないから、そこが地獄なのです。
ある時天国へ行ってみると、人々はご馳走の並んだ丸いテーブルを囲み、お互いにニコニコ笑いながら話し合っています。飢えなど全く関係ありません。
ところが、地獄と同じように、みんな片腕がイスにしばり付けられ、もう一方の腕に柄の長いスプーンがくくりつけられているのです・・・。
見ていると、天国の人たちはスプーンですくった食べ物を自分の口に入れようとはしていません。テーブルの向かい側の人の口に入れてあげているのです。
向かい側の人も、自分の口に入れてくれています。天国とはこのようにお互いに助け合って生活しているところなのです。
小学生の時に学んだことですが、本当に深いなと思いますし、大人になってからこそめちゃくちゃ役立つ考え方だと思います。当時はへーくらいにか思っていませんでしたが、社会に出てからこそ本当に必要な考え方だと思います。
皆さんは地獄の住人になっていませんか?
家族、会社、サークルなど全てのコミュニティにおいて、少し考え方や精神面を変えるだけで、自分でもびっくりするくらい環境が良くなり、爆発的に伸びていきます。
なかなか深い話なので、あまりピンとこない方も多いかもしれませんが、気づいて行動したのが早ければ早いほど人生が豊かになっていくことでしょう。
とりあえずうちの社員全員にはこの精神を持ってもらえるよう日々努めていきたいと思います。
今回は少し短いですが、この辺で。